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香象院について

香象院の歴史
当寺の創立年代及び開山、開墓は不詳であるが、宝暦二(1752)年浄書の過去帳を検すると、天正十一(1583)年、忠秀出印の中興した寺であることがわかる。「新編武藏風土記稿」には「開山忠秀法印。天正十一年起立ス。」と記されていて、或いは忠秀法印が開山であるかも知れない。古来、在田山香象院安樂寺と称していたが、第十四世歡暁(明治四年三月四日寂)の代に現在の普賢山香象院に改めたと云う。
寺は東海道保土ヶ谷宿に在って、元はもっと東寄りの旧東海道筋帷子町中通り(現在天王町)の辺に在ったが、元文年中(第十一世憲威の代)に今の地に移転している。本尊不動明王は高さ二尺五寸の立像である。明和四(1767)年十二月に小林白翁が四十三才の時に施主となって建立された。
昭和八年に香象院から発見された古写経がある。紺紙金泥の大般若波羅密多経巻の第五百六十の巻一巻である。大体鎌倉時代初期のものと見られている。その奥書は朱書を以て「真読法印奠賀 七十七歳。落字過字誤字皆朱ヲ以直之者也。転生十二年甲申従五月至る八月看読了。」と記されている。開山忠秀法印は天正十一年六月十四日に入寂しているので、おそらくこれは忠秀法印一周忌に際して老僧奠賀法印が供養のために五月から八月の四ヵ月に亘って落字過字誤字を訂正しつつ真読したのであろう。この奥書は紀年を明記した現在の保土ヶ谷最古の記録である。
江戸時代末期寺子屋を開設しており、その先生清墨庵先生の墓所がある。
清墨庵先生 七九歳 安政五戌午年正月十七日寂
保土ヶ谷郷土史上下を編纂した磯谷正の墓所がある。
明治五年九月に文部省がはじめて学制を頒布したのに際し、本県規定の教則に基いて、明治六年五月に保土ヶ谷町に保土ヶ谷学校が設立された。明治六年十二月に香象院内に分校を開設し、保土ヶ谷分校と称した。のちに帷子学舎と改称し、明治十年五月保土ヶ谷学校と合併して程谷学校となった。

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